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透明性の限度

会社の運営を透明化する、尋問を透明化するという風潮は悪いものではないと思うが、なんでも透明、透明というは疑問がある。透明にして、誰でも見られる、誰でもどういう状況か理解でき、必要なら意見を述べるということが前提で、世間一般で受け入れられているのだろう。 昨日、円・ドルの相場に政府が介入し、成果をあげたが、わざわざ財務大臣が説明をしていた。 果たしてそこまで必要だろうかというのが私の疑問だ。 為替相場は、誰もが鵜の目タカの目でビジネスチャンスをうかがっている市場だ。何も責任者がいつ介入するとかしたとか言う必要があるのだろうか? 逆手を取られるリスはないのだろうか? 反面のリスクや欠点もきちんと検証する必要があると思う。
過日、GPA用に日本のみちびき衛星が打ち上げられて一層正確なカーナビが期待されることはうれしいことだ。 しかし、国防上、日本のカーナビは何でも掲載されているから、戦争で標的にセットされたら、簡単に重要地点が破壊されることにならないのか心配もある。 平和が当然と言う日本の世間知らずの成す業かという気がする。民主党は国民の皆様の意見を聞いて、とすぐ言うが果たして具体的な解決策になる国民の考えというのは存在するのだろうか? 何か責任転嫁の匂いと、リーダーの覚悟不足の感じがする。 透明性と関係は少ないかもしれないが、要は全部見せたところで、または全部の意見の聞いたところで、それで何になるのだろうという疑問だ。民主主義はある意味ではご機嫌取りの面があるが、それで全体が本当に向上できるのか、人それぞれ、責任を以て、考え判断することはいつも必要ではないだろうか。市場にまかせるとか透明性にまかせるというのは、聞こえはいいが、それをさらに有効に利用するためには、過去のデータや問題点を分析して、プロ市場化、プロ透明化が必要ではないだろうか?
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