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温暖化と中庸の文化

今温暖化防止とかエコとか注目を浴びて、無駄をなくす大切さが見直されているのは大歓迎。
人間は温暖化防止とか大目標がないと動けないものなのだろうかとフト考える。何か昔「赤だ」と共産主義を嫌ったり、いかにも冷戦があるような舞台を宣伝されたことを考えると易々と温暖化という言葉にのるのは抵抗がある。 炭酸ガスが増え環境が悪化したのは確かだでこれが温暖化の一因だろうことは否めないが、炭酸ガスが温暖化や気候変動の主因だという考えはもっと客観的なデータは必要でないだろうか? 大昔今の寒冷地に熱帯植物があった跡は多く発見され大昔も温暖な時期があったことがわかるがこの時炭酸ガスが原因だったとは考えられない。 原因追及はともかく無駄をなくすのは賛成だ。
身近で気になるのはカンコーヒーとかお茶缶とかが広く出回っているがこれはずいぶん無駄でないだろうか? 今コーヒー豆は安いしコヒーメーカーで簡単にできたての香りのよい
コーヒーができるのに何故カンコーヒを買い缶を捨てねばならないのか疑問だ。製造・流通・販売・回収と無駄ばかりでないだろうか?
民主主義や資本主義では大がかりな宣伝やキャンペーンが必要だ。その仕組みを理解せず宣伝文句やマスコミ情報にのるリスクも考えるべきだ。 最小の努力で最大の効果を狙う資本主義の原則はしばしば大失敗をする。 最近の金融危機はいい例だ。
我々の文化に”中庸の美”がある。もっと身近に中庸の美で世の中を処していけないだろうか?

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